2010.06.26 Sat
時間による成熟
2年前に10シリーズを終えたクライアントからメールでお便りをいただきました。
10回目終了時点で私から指摘されたことが最近になって実感として伴うようになってきたとのこと。
「昔から感じていたとは思うのですが、自覚となったのはロルフィングを受けて時間を経たからだと思います。」
もちろん10回目終った直後でも、before1と比べれば、より快適で、安定した身体を得て当時のシリーズを終えられてはいたけど、私の方からは
「またいづれ、初回の10シリーズの成果を踏まえて
更に身体を開拓したいことがあれば、次のフォーカスはこの辺りになるかも知れませんね~」
というお話をさせていただいたように思います。
そこにある制限とは、before1の頃には表面化すらしていなくて、
10シリーズで一皮向けたからこそ浮き彫りに見えてきたパターンでした。
ただこれも当時のロルファーの目線での1つの憶測にしか過ぎないので、時間を経て実際どうなるかは判らないのでこの時点では断定的に扱うことはしていませんでした。
全体的な快適さが増せばますほど、まだ手放せていない箇所がより目立って感じられるということは、10シリーズの最中にも、終ってからも、よく見られる現象です。
終ってから、というのは、人によっては、終った直後であったり、何年も経ってからということもあります。
私自身に関しては、9年前に受けた初めてのロルフィングでの変化が今だに新鮮な感覚として進化しつづけているものだと、気づく出来事がつい最近でもあったくらいです。
カラダって面白い!
全ての要素と繋がっている!
そういうこともあって、私自身は来週より、再びトム・シェーヴァーのクレニオセイクラル・バイオダイナミクスの講座に身体を開拓しに行ってくる予定にしています(^-^)
どのクライアントさんにも言えることですが、
10シリーズを終えた後、その方々が、ロルフィングで体感できた自分の身体をどのように活用して日常生活を過ごしていかれるかは、人それぞれ。
ロルファーが10シリーズの期間中に提供させていただくことと言えば、
クライアントが10シリーズを終えたあと、彼ら/彼女らが自分自身でうまく自身のカラダや周辺環境とうまくやりくりしていくために使える小ネタ集(又は、自分で小ネタを開拓できるための知恵)をお伝えすることです。
なので、ロルフィングを受けた後の身体や身体に対する心の持ちようを、生かすも殺すもクライアント自身の選択肢に委ねられているということです。
(注)「小ネタ集」の比喩は、単にエクササイズの方法論などを示している訳ではありません。身体を通じて、楽な心身や周囲環境と調和の取れた毎日を過ごすための工夫の方法全般をさしています。
ロルフィングでは、10回のシリーズが終った時点で(before1と比べて)変化があったとか、なかったとか、そんなレベルでの評価はあまりしません。(よくあることには、クライアントさんの方がそのような過度な期待をもってやってくることはありますが)。何をもって変化できたのか?という指標は、常に一定ではなく、そのゴールすら、ある一定の制限や障害やパターンに変化が見られれば、その人にとっての「より快適な在り方」自体が変化しつづけるからです。ここでは、世間一般的とか社会通念的で言われるところの、「良い状態」に自身の身体を当てはめることはナンセンスだと言えます。そもそも、自分にとっての「より快適な在り方(自分軸)」自体も、また時が変われば、それが勘違いであったり、違った捉え方をしてたもんだなぁ~と思えてきたりすることもあるかも知れません。
なので、ロルフィングを受けに来ようとする人には、即効性の(しかも目に見える形での)変化よりも、ご自身のことをより長期的に長~い目でみれる心のゆとりを持ち帰っていただきたいと常々思っています。
それは、ロルファーから与えられるものではないし、身体的な制限が根深いから、とか、日々の生活に余裕がないから心のゆとりを持つなんて困難だ、ということでもないと思います。
簡単に言ってしまえば、センスの問題も絡んでるかも知れませんね(笑)
そういうことも含めて、基本的にロルフィングは10回(人によっては10数回)で一旦は終了します。
1回の10シリーズで、その時期の、その人の身体にとって、自然に変化しうる範囲以上の理想を無理には追い求めることはしません。
ロルフィング終了後も、うまい具合にそのような探求を興味心を持って日々を過ごしていける人には、ロルファーの手技に頼らなくても、ゆっくり自分に負担のないペースで、ほどよく身体が熟成されていきます。
それは、重力が常にかかっている身体を感じる能力や、ご本人のモチベーションがいい具合に開花していく過程でもあります。
「時間による成熟」(※)
とは、アイダ・ロルフ博士がよく言ったことばですが、ロルフィングを語る時には無くてはならないキーワードでもあります。(※アイダが生存していた頃の講義の録音テープ内容より)
----------------
今回、引き合いに出させていただいたクライアントのケースも、
もし当時、初回10シリーズの中で表面化してきたからといって、まるで悪者をやっつけるかのごとく、その制限にばかりフォーカスしていたとしたら、10回を通じて全体的なまとまりを得たカラダにとっては(ご本人が自覚すらされていない状況にとっても)侵略的なセッションになっていたと思います。
時間による熟成があってこそ、次のより深いレベルでのパターンを扱うことができ、その方が身体も安定して、その変化を受け止めることができるのです。
2ndラウンドとなる、ポスト10が楽しみです
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大阪・梅田でロルフィング - http://easeofbeing.jp/
重力に逆らわない姿勢と動作。内側からにじみ出る心身美の探求。
10回目終了時点で私から指摘されたことが最近になって実感として伴うようになってきたとのこと。
「昔から感じていたとは思うのですが、自覚となったのはロルフィングを受けて時間を経たからだと思います。」
もちろん10回目終った直後でも、before1と比べれば、より快適で、安定した身体を得て当時のシリーズを終えられてはいたけど、私の方からは
「またいづれ、初回の10シリーズの成果を踏まえて
更に身体を開拓したいことがあれば、次のフォーカスはこの辺りになるかも知れませんね~」
というお話をさせていただいたように思います。
そこにある制限とは、before1の頃には表面化すらしていなくて、
10シリーズで一皮向けたからこそ浮き彫りに見えてきたパターンでした。
ただこれも当時のロルファーの目線での1つの憶測にしか過ぎないので、時間を経て実際どうなるかは判らないのでこの時点では断定的に扱うことはしていませんでした。
全体的な快適さが増せばますほど、まだ手放せていない箇所がより目立って感じられるということは、10シリーズの最中にも、終ってからも、よく見られる現象です。
終ってから、というのは、人によっては、終った直後であったり、何年も経ってからということもあります。
私自身に関しては、9年前に受けた初めてのロルフィングでの変化が今だに新鮮な感覚として進化しつづけているものだと、気づく出来事がつい最近でもあったくらいです。
カラダって面白い!
全ての要素と繋がっている!
そういうこともあって、私自身は来週より、再びトム・シェーヴァーのクレニオセイクラル・バイオダイナミクスの講座に身体を開拓しに行ってくる予定にしています(^-^)
どのクライアントさんにも言えることですが、
10シリーズを終えた後、その方々が、ロルフィングで体感できた自分の身体をどのように活用して日常生活を過ごしていかれるかは、人それぞれ。
ロルファーが10シリーズの期間中に提供させていただくことと言えば、
クライアントが10シリーズを終えたあと、彼ら/彼女らが自分自身でうまく自身のカラダや周辺環境とうまくやりくりしていくために使える小ネタ集(又は、自分で小ネタを開拓できるための知恵)をお伝えすることです。
なので、ロルフィングを受けた後の身体や身体に対する心の持ちようを、生かすも殺すもクライアント自身の選択肢に委ねられているということです。
(注)「小ネタ集」の比喩は、単にエクササイズの方法論などを示している訳ではありません。身体を通じて、楽な心身や周囲環境と調和の取れた毎日を過ごすための工夫の方法全般をさしています。
ロルフィングでは、10回のシリーズが終った時点で(before1と比べて)変化があったとか、なかったとか、そんなレベルでの評価はあまりしません。(よくあることには、クライアントさんの方がそのような過度な期待をもってやってくることはありますが)。何をもって変化できたのか?という指標は、常に一定ではなく、そのゴールすら、ある一定の制限や障害やパターンに変化が見られれば、その人にとっての「より快適な在り方」自体が変化しつづけるからです。ここでは、世間一般的とか社会通念的で言われるところの、「良い状態」に自身の身体を当てはめることはナンセンスだと言えます。そもそも、自分にとっての「より快適な在り方(自分軸)」自体も、また時が変われば、それが勘違いであったり、違った捉え方をしてたもんだなぁ~と思えてきたりすることもあるかも知れません。
なので、ロルフィングを受けに来ようとする人には、即効性の(しかも目に見える形での)変化よりも、ご自身のことをより長期的に長~い目でみれる心のゆとりを持ち帰っていただきたいと常々思っています。
それは、ロルファーから与えられるものではないし、身体的な制限が根深いから、とか、日々の生活に余裕がないから心のゆとりを持つなんて困難だ、ということでもないと思います。
簡単に言ってしまえば、センスの問題も絡んでるかも知れませんね(笑)
そういうことも含めて、基本的にロルフィングは10回(人によっては10数回)で一旦は終了します。
1回の10シリーズで、その時期の、その人の身体にとって、自然に変化しうる範囲以上の理想を無理には追い求めることはしません。
ロルフィング終了後も、うまい具合にそのような探求を興味心を持って日々を過ごしていける人には、ロルファーの手技に頼らなくても、ゆっくり自分に負担のないペースで、ほどよく身体が熟成されていきます。
それは、重力が常にかかっている身体を感じる能力や、ご本人のモチベーションがいい具合に開花していく過程でもあります。
「時間による成熟」(※)
とは、アイダ・ロルフ博士がよく言ったことばですが、ロルフィングを語る時には無くてはならないキーワードでもあります。(※アイダが生存していた頃の講義の録音テープ内容より)
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今回、引き合いに出させていただいたクライアントのケースも、
もし当時、初回10シリーズの中で表面化してきたからといって、まるで悪者をやっつけるかのごとく、その制限にばかりフォーカスしていたとしたら、10回を通じて全体的なまとまりを得たカラダにとっては(ご本人が自覚すらされていない状況にとっても)侵略的なセッションになっていたと思います。
時間による熟成があってこそ、次のより深いレベルでのパターンを扱うことができ、その方が身体も安定して、その変化を受け止めることができるのです。
2ndラウンドとなる、ポスト10が楽しみです




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