今日は、何かの気まぐれで、随分以前に買った革靴を出してきて、それを履いて外出した。
かれこれ人生初のロルフィングを受けていた最中に愛用していたものだ。
靴底が完全にひっくり返れるくらい柔らかくて、
足の甲側の皮も、私にとっては適度に足の形にフィットしてくれるものだった。
しかし、履いた途端に違和感が・・・
ロルフィングを受け始めてから、やたらと靴には気を配るようになった当時のものだから、もはや既にそれより昔によく履いていたファッション性ばかりを追及した靴よりずっとマシだが、これを履いて歩いていると、過去の自分の歩き方が再現できてしまった。
自分で昔の歩き方を再現した、というよりは、
違和感を感じたと同時に、身体の方が無意識に快適さを取り戻そうとしたのに、どうあがいてもその靴の中に居ては理想的な歩き方に身体を運ぶことが難しかった、、、と言う方が正しい。
「ああ、昔の私はこんな風に脚&足を使ってたんだなぁ~」
「これじゃ、足の内側アーチが全然使えてないやん!」
「足の親指に重心がかかって、一見、つま先のヒンジを使っている風に見せかけて、これって実は、足の機能的なアーチを動かさずに歩いてるんとちゃうん?」
思わず、自分で自分にダメ出しの連発(苦笑)
ここのところ、「ナイキフリー」のスニーカーにハマっていて、
特別なお洒落な格好のために、普通の靴をはく必要がある時以外は、もうこのシューズばかり履いている。
汗臭くなるのが嫌なので、最近は3足をローテーションし始めたくらい。
なので余計に、ナイキフリーとは違う靴
(しかもヘタに靴底が柔らかいとか、快適性を謳った靴)を履くと、
やたらとその違いが気になってしかたない。
それなら、履かなければいいのに…と1人ツッコミをいれるも、
そんな事に気づいたところで、もう家には引き返す時間の余裕もなく、
結局、自分の歩く時の身体の使い方や、地面とのコンタクトへの感覚を最大限に意識して、今日1日を乗り切った。
昔の歩き方に合わせて変形してしまった靴に挑戦するかのごとく動いてみた。
靴の中で重心が一番かかる箇所や中敷が摺り減りやすい箇所は、今でも、ロルフィングを受けた直後の、まさに今日履いている靴に形状記憶されているままの所と同じ位置だった。
何が違うといえば、その箇所に体重がかかるまでのプロセスが違っていたのだ。
ロルフィングを受けた直後も、その新鮮さに驚き、毎日マニアックに自分の歩き方を意識していたが、それから何年も経った今の方がずっと自然な動きで全身をうまく使えている。
左足裏のアーチ1つを例にしても、相変わらず扁平足で見た目には変わってないけど、そこには十分な「たわみ性」と他のパーツに分散させるだけの「適応性」が向上しているのが見られた。
もう古くて、でもお気に入りの靴だっから、なかなか捨てれずにいた靴だった。
特殊な靴修理にでも出せば、表面の皮革部分はそのまま残して
中身は新しい靴としてリフォームすることもできるが、かなり値が張るので、手つかずのままの放置になっていた。
そんな過去の愛用靴さんが、
まるでタイムカプセルのように、数年後に色んな発見をさせてくれるとは!
靴さん、ありがとう

帰り道も、この靴と葛藤しながら、いろんなボディユースを試しつつつ、
家に着くまでに、この靴さんとお別れすべきかどうかを決断することにした。
家にたどり着く頃には、
近頃使っていなかった全身の筋肉が程よい疲労感に見舞われたところで
この革靴とはお別れすることに決めた。
捨て時を迷っていた靴さんでしたが、
もう見た目にくたびれ始めた頃に、さっさと捨ててしまっていたら、
その後も時折思いだしては、この靴をよく似た靴を探すジプシーになっていたことだろう。
物を捨てるということに慣れずに、どちらかというと物に執着しがちな自分の傾向をどうにかしたいとよく思う近頃だったが、捨てるための納得いく理由があったら、こんなにも潔く、すっきりした気分で靴さんとお別れすることが出来ることを今回の出来事で学んだ気がする。
今回の靴さんに限っては、
ささくさと捨てなくて良かった、
のだろう。
そして今日は、私の足に踏みつけながらも、じっと耐え、私のロルフィング体験に長い目で見守ってくれた、この革靴さんに感謝して寝ます。
おやすみなさい


